リッチー・ブラックモアとは何者か

 1945年4月14日、イギリス生まれ。セッションマン、バックバンド時代を経て、1970年頃からハードロックバンド”DEEP PURPLE”のギタリストとして脚光を浴びます。何度もメンバーチェンジを繰り返し、現在(2019年)も活動を続けているDEEP PURPLEですが、多くのファンにとってのハイライトは”黄金期”と言われる第二期でしょう。ギター:リッチー・ブラックモア、ヴォーカル:イアン・ギラン、オルガン:ジョン・ロード、ベース:ロジャー・グローバー、ドラム:イアン・ペイスの5人。1972年8月、黄金期のメンバーでの初来日公演を収録した『Made in Japan』は世界中で大ヒット、ハードロック史に輝く名盤の一つとなっています。当時ハードロックと言えば、世界的にはLED ZEPPELINの方が人気・評価が高かったようですが、日本ではDEEP PURPLEの方が人気があった、との記事はよく目にします。私も例外ではなく、LED ZEPPELINは「難しい大人の音楽」なのに対し、DEEP PURPLEは「ストレートで解りやすいハードロック」という印象(あくまでも私観)で、やはりのめり込んだのはDEEP PURPLEでした。

 いわゆる『世界三大ギタリスト』とは「エリック・クラプトン」、「ジェフ・ベック」、「ジミー・ペイジ」の3人を指し、リッチー・ブラックモアは含まれていませんが、私たち信者にとっては三大ギタリストとは一線を画す、圧倒的なカリスマなのです。第一線で活躍するプロのギタリストにも彼からの影響を受けた人はたくさんおり、その道の先駆者として認識されているのです。

 

そのカリスマ的な魅力の一つはギタープレイ

 今でこそ(というか既に80年代には)「リッチーよりも速くてウマい」と言われるギタリストはたくさんいますが、70年代初頭において彼のプレイは革新的・衝撃的だったそうです。”速弾き”然り、アドリブ性に富み、毎回同じプレイをしない。しかも「バッハが好きだ」と公言し、子どもの頃に習っていたというクラシックの素養があるため、随所にクラシカルなフレーズが散りばめられ、それがまたカッコ良いのです。

まさにモーツァルトのアルペジオ

 

イギリス民謡をアレンジしたアドリブソロ

 

誰もが知っているベートーベンの”第九”。6:06頃~のキメフレーズは何度練習したことか。

 

 また、それら速弾きのテクニックやクラシカルなフレーズと相まって、そのトーン(音色)がたまらないのです。一流のギタリストはどんな機材を使用してもその人だけのトーンになるといわれ、リッチーと同じくストラトキャスターとマーシャルアンプを使用するギタリストは古今東西ごまんといますが、やはりあくまでもリッチーのトーンはリッチーにしか出せないのです。仮に、私が当時のリッチーのストラトとマーシャルで弾いたとしても、あのトーンは出せないでしょう。リッチーに興味を持ってからの20年間、数えきれないほど聞き続けている音源ですが、いまだにそのトーンにゾクゾクっとする事があります。

 

もう一つは破天荒なステージパフォーマンス

 ジミ・ヘンドリクスのステージを観て影響を受けたそうですが(歯で弾いたりギターを燃やしたり、確かに当時にしてジミヘンはブッ飛んでいたと思う(^^;))、リッチーのステージも負けず劣らずエキサイティングです。ステージ上でまとわりつくカメラマンにイライラしてギターでカメラを破壊したり、他のメンバーには内緒でアンプを爆発させたり、時には命の危険すら感じさせる、訴えられたり逮捕されてもおかしくない大暴れ は観ていてスカっとします(実際に訴えられたり逮捕された事もあるようですが…)。

伝説のCalifornia Jamでの大暴れ。ステージ終了後に逮捕されそうになり、ヘリで逃げたらしい。。

 

そしてもう一つはその”変人”さ

 往々にしてミュージシャンには変人が多いといいますが、リッチーもやはり変人の部類だと思います。ソリが合わない、もしくは自分の趣向について来ないメンバーは追い出し、または自分から出ていく事の繰り返しで何度もメンバーチェンジを経てきたDEEP PURPLEとリッチーのバンド”Rainbow”。度が過ぎたイタズラ好きで知られ、残されている様々な逸話や伝説は他のサイトや書籍に任せるものとして割愛しますが、 私が感銘を受けた(?)名言が、『そいつがどんな感情を持とうが、それはその人間の問題であって私の責任ではない』。その一言ですべてを一蹴し、自分のペースを貫く生き様は羨ましいものです。私のような普通の人には到底真似の出来ない生き方ですが、だからこそ、そんな”変人さ”に憧れるのだと思います。

 

 

 

 

 

 そんなリッチー・ブラックモア。”黄金期”と言われた第二期DEEP PURPLEですが、リッチーはヴォーカルのイアン・ギランとソリが合わず、彼を追い出します。ついでに(?)イアン・ギランと一緒にPURPLEに加入したベーシストのロジャー・グローバーも。そうして新たなメンバーにヴォーカル:デイビッド・カヴァデール、ベース:グレン・ヒューズを迎えた第三期DEEP PURPLEも大成功。ですが次第にファンキー路線等、新メンバーの趣向が強く出てきて、自分のやりたい音楽が却下されると、今度は自らPURPLEを脱退。Ritchie Blackmore’s Rainbowとして新しいバンドを結成するのでした。前座をしていたバンドのヴォーカル、ロニー・ジェイムス・ディオの声が気に入り、取り合えずはそのバンドのギタリストを追い出して丸ごと乗っ取るというカタチで(^^;)。

 その後、”あの巨大バンドDEEP PURPLEのリッチー・ブラックモア”のお眼鏡にかなうメンバーはおらず、結局ヴォーカルのロニーだけを残して全員クビ。新しいドラマーにコージー・パウエルを迎えた事で、リッチー、ロニー、コージーによる三頭政治、いわゆるRainbowの黄金期を迎えます。この頃の彼らの音楽は”様式美”として崇めら、多くのフォロワーを輩出するのでした。

”様式美”の代表格、黄金期Rainbowのオープニングナンバー

 

 しかしその黄金期はあまり長くは続きません。様式美を突き進みたいロニーに対し、リッチーはアメリカのマーケットを意識した、コマーシャルな方向へと趣向が変化していきます。あえなくロニーは脱退。後任にグラハム・ボネットをヴォーカルに迎え、グラハムは物凄いハイトーンヴォーカリストで、リッチーもその声には満足していたようですが、当時のロックらしからぬグラハムの”短髪”や衣装が気に入らず、結局はアルバム1枚を残して脱退。そしてコージー・パウエルとも音楽性の相違から決別。新ヴォーカリストに、若くてイケメンのアメリカ人、ジョー・リン・ターナーを迎え、より一層コマーシャルな方向へと向かっていきます。

 

 

 一方、リッチー脱退後の第四期DEEP PURPLEは、後任ギタリストのトミー・ボーリンがヘロイン中毒で死亡、DEEP PURPLEは解散していました。

 リッチーの思惑通り、Rainbowはアメリカでも大成功。ジョー・リン・ターナーとはうまく行っていたようで、80年代前半は安泰だった模様です。 しかしこの頃、黄金期メンバーによるDEEP PURPLE再結成というカタチで、莫大なお金が動くビジネスが水面下で始動。事は一気に進み、1984年に黄金期DEEP PURPLEが再結成を果たします。この時、ジョー・リン・ターナーとは決別するワケではなく、Rainbowは一時中断、その間お互いがんばろう、と友好的な別れだったそうです。

  そして大成功を収めた再結成DEEP PURPLE。しかしイアン・ギランとの確執が再び表面化。またしてもイアン・ギランを追い出し、DEEP PURPLEはジョー・リン・ターナーをヴォーカルに迎えるも上手く行かず(音楽的に?)、再度イアン・ギランが復帰。ついにはリッチーがDEEP PURPLEを脱退するに至ります。

 脱退後は新たなメンバー編成で再びRitchie Blackmore’s Rainbowとして活動しますが、あまり長くは続きません。と言うか続けません。そもそもリッチー本人が「ロックには興味が無くなった」ようです。そして、後に奥さんとなるキャンディス・ナイトをヴォーカルに据えたBlackmore’s Nightを始動します。これまで30年以上演ってきたロックとは全く別の、アコースティックが主体の中世ルネッサンス音楽。私がリッチー・ブラックモアに興味を持ったのは1999年。すでにBlackmore’s Nightとして活動している時でした。

 

 

  20年以上ロックの舞台から離れ、ひたすら自分の好きなルネッサンス音楽の道を進むリッチー。それはそれで新たなファンも獲得し、悠々自適、順風満帆のようです。が、DEEP PURPLEやRainbowをリアルタイムで体験していない私としては少し寂しい気持ちがあるのも正直なところ。

 しかし2016年、待望の嬉しいニュースが。あくまでも3公演のみの限定的なもので、全く新しいメンバー編成ではありますが、Ritchie Blackmore’s Rainbowとして”往年のDEEP PURPLEやRainbowのロック”を演ると。それらをリアルタイムで体験しておらず、当時の音源を辿るだけで諦めていた私にとって、まさに”今”リッチーがストラトキャスターを手に当時のロックを演るなんて、まるで夢のようなニュースでした。

 そのドイツでの公演初日、早速オーディエンスによって動画サイトにUPされた雄姿、そして一曲目はHighway Star!手ブレして、音も割れている動画でしたが、それを目にした時の興奮は忘れられません。その時リッチーはもう71歳。確かにテンポはスロー気味だし、70年代当時の鬼気迫る煌めきはもう無いかも知れない。でもそんな事は関係無いのです。リッチー・ブラックモアが”今”、”あの”ホワイトのストラトキャスターを手にHighway Starを演っているという奇跡。もうそれだけで鳥肌が止まらず、思わず涙が溢れてきたものです。

 その後、Blackmore’s Nightの活動に戻りながらも、17年、18年、19年と、やはり数回限りの限定的なものですが、ヨーロッパを中心に公演を続けているRitchie Blackmore’s Rainbow。来日を心待ちにしていますが今のところそのニュースは聞こえてきていません。

後にBlue Ray/DVDでリリースされた映像。当然発売日に入手(^^)

 リアルタイムで体験していないにも関わらず、これでけ夢中になったリッチー・ブラックモア。私にとっては神様、教祖様といっても過言ではない遠い存在。もし来日するとなれば、私はどんな事をしてでも観に行くことでしょう。当時のウマさや迫力、煌めきは無くても良い。元気なうちに、ひと目で良いからストラトキャスターを手にした雄姿を見てみたいのです。

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